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形態コンシェルジュ :::: 趣味のページ ::::

草野球


30代の頃 最近の写真
30代頃 58歳頃
現役時代は九州がんセンターやクラブ
チームに所属し、サード、投手が持ち場
でした。
年はとっても野球小僧. 九州がんセンター
の院内職場対抗ソフトボール大会でも
ハッスル、ハッスル!
 
福岡ヤフードームでの送別野球大会
退任送別野球大会
還暦祝いに頂いた“背番号3” のユニホームをまとい、福岡ヤフードームで送別野球大会が開催されました。(2008.1.25 19:00〜21:00)ミスター長嶋茂雄さんの大フアンです!

後輩の企画により開催されたもので、憧れの福岡ヤフードーム(現.PayPayドーム)を貸し切り、子供たちも参加され楽しい時間を過ごすことができました。 感謝しかありません! ベックマン・コールター社の方も数名参加されました。



絵画(美人画)


私と美人画の出会いは23歳の頃に遡ります。“霜月の氷雨の夜”コタツで暖をとりながら、ある画伯の11月カレンダーの美人画に触れた際、艶やかに描写された“女性の優しさ”に引かれ美人画を描き始めました 。
初めはクロッキー(速写画)からスタートし、後に墨絵そして彩色へと挑戦することになりました。私に発想力が欠けているため今日まで著名な画伯の模写にすぎません。素人ながら知人と個展を挑戦したのが福岡県甘木市のあるアトリエで、西日本新聞社に掲載されました(2005.10.27〜10.31)。2回目は、大分の実家の山香郵便局の局長さんのご厚意により管轄する美術館で、美の麗彩「兄弟三人展」を開催しました。偶然にも兄弟三人が絵画の趣味をもち、長男は山水画の師範であり、次男は県美展に4回入選するほどの腕前で、三男の私にとって正夢となりました。この催しは大分合同新聞にも取り上げられ、親子展はあるものの兄弟展は珍しいそうで、三人三洋の技法がよかったのも知れません。
最近では2017年頃から実家に近隣する市民会館で毎年11月に開催される「市民文化祭」にも兄弟が展示する機会を頂いております。コロナ禍、巣ごもり生活の日々でしたが一向に新作づくりは進まず、日々衰える眼力には拡大鏡をお供にして、もう少し女性の美を追求してみたいと思っております。

美の麗彩「兄弟三人展」の案内状  美の麗彩「兄弟三人展」の案内状です。
 “だんご3兄弟”をもじったものです。
  墨絵 描くのは 長男 長男 !
  油絵 描くのは 次男 次男 !
  水彩 描くのは 三男 三男 !

 雅号は以下です。
  長男が 英旭(えいぎょく)
  次男が 漣 野十郎
  (さざなみ やじゅうろう)
  三男が 麗旭(れいぎょく)
 

墨絵、油絵、水彩画の計33点  墨絵、油絵、水彩画の計33点を展示しました。
 お陰様で盛況のもと閉幕しました。
 期間:2015.2.22〜3.21

 

大分合同新聞

開催途中、大分合同新聞に「三人兄弟展」が紹介されました。



花うらら 恋文
花うらら

恋文

涼風 燃ゆる秋
涼風

燃ゆる秋

忍び笛 おでかけ
忍び笛

おでかけ




マラソンへの挑戦


中津時代(52歳)に沖縄の知人から勧められたマラソンの練習に取り組み、まずは1kmから5kmを反復練習し、10kmそして20kmさらに30kmまでは到達できました。毎回1kmが辛いのですが、3kmあたりからランナーズハイを感じ練習を重ねていきました。その結果、6カ月の練習の末、無謀にも初めてのフルマラソンとして第15回沖縄那覇マラソン(1999.12)に挑戦しました。沖縄の仲間たちの沿道応援を頂き苦しみながらも5時間25分(制限6時間)で完走することができました。沖縄那覇マラソンはその後3回(2000,2001,2007)完走しましたがタイムは下がる一方でした。タイム的に良かったのは宮崎青島太平洋マラソン(2004)で4時間45分でした。沖縄では完走者にいただく琉球ガラス製のメダルは私の金メダルとなっています。初めての完走の際は、奥武山陸上競技場に寝そべって青空を眺め、自分を褒めてやりたい気持ちで一杯でした。

沖縄那覇フルマラソンのメダル
 沖縄那覇フルマラソンのメダル
  沖縄の12月初旬は27℃位で、アップダウンのコース
  も選手泣かせです。
  今思えば4回もよくもチャレンジしたものだと感心
  しております。
  私にとっては4つの金メダルです !

 
宮崎青島太平洋フルマラソン  宮崎青島太平洋フルマラソン(2004.12)
  気温は15℃と最適でアップダウンも少なく、4時間
  45分の好タイムで私の生涯の成績となりました。
 


魚釣り


大分の山育ちの私は子どもの頃から川釣りをよくしていました。自称ながら兄弟のなかでも腕前は確かだと思います。70歳を超えても里帰りの際にはグランド でキャッチボールや魚釣りは1日かけて楽しんでおります。昔は魚が多かったのですが、コンクリートを張った河川工事などによって今は激減しているようです。獲物はハヤ(オイカワ)が多いのですが、小さくても細い竿がしなり魚がかかった時の感触はたまりません。子供の頃、10匹位でもおふくろが作ってくれる甘露煮が大好物でした。海釣りは機会が少なく道具にかさばる費用も半端ではないので敬遠しております。

里帰りの魚釣り  里帰りの魚釣り(2015.8)
  車で移動しての場所探しや許可とりなど
  田舎の魚釣りも大変です。
  この日は団子三兄弟で大漁でした。
 
里帰りの魚釣り  初めての海釣り(1999)
  中津時代に知人たちと大分県の臼杵市を訪れた
  時に岸壁からアラカブ釣りを楽しんだ1コマです。
 

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