福岡市の周辺に住むこと18年になりますが、先日、博多湾の周辺約20kmに防塁の一部が残った蒙古襲来の史跡を巡りました。史料によりますと、13世紀初めアジアからヨーロッパにまたがる強大なモンゴル帝国(元)を打ち立てたチンギス・ハンの孫にあたるフビライ・ハンが博多湾を二度に渡り襲来しました。
1266年、元は日本との外交を試みたものの鎌倉幕府(8代執権.北条時宗)との交渉が失敗に終わります。それが原因で、1274年(文永3年)10月に福岡県博多湾西部へ上陸し激戦を繰り広げ、博多は甚大な被害を受けました(文永の役)。鎌倉幕府は元軍の再来に備えて、九州各地の御家人に命じ1276年3月から半年間で、博多湾の海岸沿いに約20km(高さ2~3m)にわたり石垣を築かせました。当時は「石築地(いしついじ)」と呼ばれましたが、大正時代の考古学者によって「元寇防塁(げんこうぼうるい)」と命名されました。
1281年、元軍は再び博多を襲来しました。しかし元寇防塁に阻まれていたため佐賀県の松浦近海に上陸しました。ここで長引く戦いと気象の悪化により、軍船の多くが沈没や損壊し退散・壊滅したといわれています(弘安の役)。
元寇後、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて、日元貿易は盛んになり元の支配下にあった中国文物や文化などが取り入れられ、東エリアには元寇神社が祀られています。日本と元において、もっと早く相互理解を深めることができたら不要な戦いを防ぐことができたのかもしれません。それは現代にも通じることではないかと考えながらの史跡巡りでした。折しも、天皇、皇后両陛下は7月6日から8日間の日程で、歴代天皇初のモンゴル公式訪問を終え帰国されたことが報道されました。
2025年6月号の問題. 下記のご質問をいただきましたがどのようにお答えしますか。
【Q1】 | 白血病細胞のMPO染色やEST二重染色の陽性率はどのようにして求めますか。また、陽性所見を見逃さないためにはどのようにすればよいでしょうか |
【助言1】 | MPO染色は急性白血病の診断に有効で、全芽球中3%以上の陽性が骨髄系、それ以下をリンパ系として大別されます。ただAMLのなかにMPO陰性群(M0・M5・M6・M7)がありますので、EST染色や免疫表現型で芽球の帰属を診断します。EST二重染色は陽性率ではなく反応所見(態度)をもって評価しますが、クロロアセテートESTは顆粒球系を青色に染め、ブチレートESTは単球を茶褐色に染めます。なかには両方の陽性色を呈する二重陽性像もみられます。双方の染色所見は高倍率(×1000)で鏡検し、弱陽性を見逃さないように注意を払います。 |
【Q2】 | 骨髄生検標本における過形成、正形成、低形成はどのように評価するのでしょうか。 |
【助言2】 | 骨髄生検標本の脂肪織の占める割合は、過形成では25%以内、正形成では50%~75%、低形成では75%以上とされます。従って、正常例では50~75%(平均50%前後)が脂肪髄、25~50%(平均30%前後)が細胞髄となります。ちなみに骨髄穿刺標本の脂肪と細胞(F/C)比はほぼ1:1とされます。骨髄穿刺で判定する場合は、薄層塗抹標本よりも細胞密度が高いとされる圧挫伸展標本を推奨しますが、確定診断には骨髄生検や骨髄クロット標本から判定することになります。 |
2025年7月号の問題. 下記のご質問をいただきましたがどのようにお答えしますか。
【Q1】 | 21転座のAML(M2)の場合、顆粒球系細胞の形態異常を詳しく教えてください。また、8;21転座はM2のほかにみられますか。 |
【Q2】 | リンパ形質細胞性リンパ腫(LPL)と原発性マクログロブン血症の鑑別がつきませんので教えてください。 |
形態マガジン号キャプテン 阿南 建一
「細胞同定」については、骨髄像の鑑別細胞を提示しました。今回から画像は高倍率(1,000倍)で提示しています。細胞の大きさは赤血球の大きさを対照にしてください。
「ワンポイントアドバイス」は、EST二重染色の判定法と骨髄生検の低形成、正形成、過形成について解説します。
問題1
BM-MG.1000
問題2
BM-MG.1000
問題3
BM-MG.1000
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